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コミュ力の高い人は絶対言わない!○○は相手の心を閉ざしてしまう障害物。コミュニケーション会話

飲食店の接客。笑顔の魔法。接客態度で味まで悪く感じるお客様の心理。みんなが笑顔になる 接客術 関連記事

例えば、
友達が恋愛の悩みを漏らしていたとき

「こんなふうに言えば?」
「こうするべきでは?」
と、アドバイスしたけど、

「いや、でもさぁ…」
「まーそれはそうなんだけどぉ…」
と、つべこべと否定してきて結局何もしようとしない。

だったら言ってくるなよ!

…というような、相手の煮え切らない態度にイライラした経験、あなたはありますか?

もし、それがよくあるとすれば、あなたはもしかしてコミュニケーション能力の低い人かもしれませんよ!


さて、今回はコミュニケーション能力、いわゆるコミュ力の高い人の特徴について綴っていこうと思います。

私は飲食店経営者で、日々いろいろな方との出会いがありますが、いるんですよね『コミュ力の高い人』
特別すごい話術があるわけではなく、知識が豊富なわけでもなくても、とにかく壁がなく接しやすい人。

初っ端から言いますが、
こういったコミュ力の高い人たちに共通する特徴のひとつは『正論を言わない』です。

実は、多くの人が半ば無意識にも正論を発しています
他人の事柄には感情に乱されず客観的に分析しやすいのと、自分が頼れる人間でありたい、という貢献欲を人はみな持っているからです。

それ自体は全く悪いことではないのですが、人間関係を構築するための『コミュニケーション』において、これは障害になってしまうのです。
冒頭の『相手の煮え切らない態度にイライラした経験』が多い人こそ、この点は要注意です。  

正論好きな私の知人の話も踏まえてコミュニケーションに必要なものと不要なものについて解説していきます。

コミュ力が高そうに見えて実は相手の心を閉ざしてしまう人

とあるスナックのママさん。
彼女は初対面の人でも友達や家族のように明るく接する、とても社交的な人。
姉御肌で少々正義感の強いところがあり、相手がお客さんだろうと迷える子羊は正論でバッサバッサと切っていきます。

例えば、会社の上司にストレスを抱えているというお客さんには
「はっきり文句言ってやりなさい!それができないなら我慢するか辞めるかのどちらかしかない!」

子育てについて妻と衝突ばかりしていると嘆くお客さんには
「親がどうしたいかじゃなく子供の気持ちを優先的に考えなきゃだめ!」

そして、既婚男性と付き合っているという女性にも
「不倫で幸せにはなれない。片手間で相手してくる男にすがってたら安売りと一緒よ!」

こんなふうに、熱心に語りかけてくるのは『おっしゃるとおり』な言葉の数々。

もちろん、そんな言葉に背中を押された人もいると思います。
ただ、このママさんについて周囲の方たちからよく聞かれる感想は「疲れる」「偉そう」「余計悩む」と言うネガティブな言葉が多いのも事実です。

なんだかわかりますよね。

おそらくママさんは説教がしたいわけではなく「現実をよく見て!」ということを伝えたいのだと思います。
冒頭にも言ったとおり、他人の事柄に対しては、客観的に、冷静に見れるので正論を出しやすいものですから。

しかしそれは相手が『指南が欲しい』『問題解決に迫られている』などという時にだけ有効です。
例えばトラブルのあった相手との仲裁に第三者が入ることはよくあることですよね。

ですので、そんな状況でもない限りコミュニケーションの場では正論は必要ない、それどころか相手が心を閉ざしてしまい兼ねない言葉ということです。

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社交的な人=コミュ力が高い、ではない

一般的に、明るく積極的に人付き合いができる人を『社交的な人』と言うと思います。前述のママさんもそうですね。

実は、そう呼ばれる人でもコミュニケーションスキルの低い人はたくさんいます。
社交性の高さとコミュ力は全くの別物なのです。

『私は人見知りもしないし誰とでも仲良くできる』と自分では思っていても、相手がどう思っているかはわかりません。
その場は楽しげな雰囲気でも、実は相手はそんなに楽しんでいなかった、なんてことはよくある話です。

関係性をこじらせないように、雰囲気を壊さないようにと、相手が合わせてくれていたり、無理して笑わせていたとすれば、それはコミュニケーションが成り立っていないということになります。

正論はコミュニケーションの障害物

正論は大事です。

でも人は、その正論で片付けられない感情の部分で悩むのです。

確かに、人がみな正しい理論のとおりに行動すれば、あらゆる物事が円滑に運び、それこそ犯罪だって減ることでしょう。
そんなことは誰もがわかっているのです。
わかっているのにどうしてそう行動できないのかというと、それはやっぱり『感情を持っているから』なんですよね。

私たちの小さな悩みも、

こうしたい!
でも相手が(状況が)許さない(適さない)
でもやっぱり自分の思うようにしたい!

と理性と感情がせめぎ合うから答えが出せずズルズル、モヤモヤしてしまうのです。

このように人間は『理性』と『感情』を頭の中で対立させるという高度な能力を持っているため常に複雑なのです。

理性は健全な社会生活に必要不可欠ですが、だからと言って人は自分の感情を無視することもできない。

それなのに、
『正論を言われる』
すなわち『感情を無視した理性の部分にだけ向き合わされる』
となれば、感情を閉ざさなくてはいけないような気になってしまうのは必然です。

それゆえ正論は、コミュニケーションにおいて障害物になってしまうのです。

正しい理論ではなく気持ちに目を向けられるのが本物のコミュ力

しかし、正論がコミュニケーションにおいて障害物とはいえども、相手の話に何か迷いが見られると、導いてあげたくなったり結論づけたくなったりするものですよね。
これも冒頭に言いましたがこれは、役に立ちたいとか、自分が頼れる人間でありたいという、人が本来持っている貢献欲の表れでもあります。
もっと言えば自分を優位に見せたいという自己顕示欲もありますね。

でも、日常の悩み事やモヤモヤは、どのみち当人が対応していくのです。
結局自分で解決するのになぜいちいち誰かに吐露するのかというと、それは大半がコミュニケーションの一環であり、気持ちに目を向けて欲しいからなのです。

人の気持ちに目を向けた会話、ようするに『共感性』が重要となってきます。

コミュ力の高い人は理論よりも共感性の高い会話をしているのです。

「相手が正しくても気持ちが納得できない時あるよね」
「後悔するとわかってるのにやっちゃうんだよね」

そしてもっと小さな日常会話では

「今日風が冷たくないですか?陽が出てるから上着持たずに出てきたら寒くて」
「さっきここに来る途中、ながらスマホの自転車とぶつかりそうになって…」

というような、誰しも同じような経験がありそうな世間話を相手と同じトーンでよく話してきます
そうするとそれを聞いた人は「あー、私もさぁ」と関連づいたエピソードを話したくなり、会話が自然と続くのです。

前述のママさんも、他人には正論を言えても、自身は正論どおりに全て行動できるわけがないんです。
そんな人はいません。


人は自分を一番優先に見て生きていくもの。
矛盾だらけで、ずる賢く、善悪の両面を持ち合わせている生き物です。
そんな面を度外視するべき状況では正論も大事ですが、そうではないコミュニケーションの場では、相手の気持ちに目を向けた会話ができるかどうかでコミュ力のレベルが決まる、ということです。


他にもこコミュニケーションについていろいろな記事を書いています。

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