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料理に調味料をたくさんかけるお客様。失礼!美味しくない!合わない!は誰が決める?飲食店対処法

うざいと言われる食通グルメ美食、お寿司を食べる女性 料理人の茶話

最初に言っておきますと、私はこの『料理に調味料をたくさんかける』行為、気にならない派です。
いや、気にしない派と言ったほうがいいかな。

私も過去に、実際にそういうお客様に遭遇していますが「どうぞお好きなように」と思っています。

とはいえ、確かに料理は、料理人が最善だと思う状態で自信を持って出しているので、極端に味変させられるとモヤモヤしたり傷付いてしまう料理人の気持ちはよくわかるんです。
だから、気にならない派ではなく、気にしない派なのですが。

でもなぜお客様は満足しているのにこちらはネガティブな感情が沸いてしまうのでしょう?

料理に調味料をたくさんかける行為は不義なのか?

『それじゃ美味しさがわからない』『料理人に失礼だ』は一体、誰基準なのか?

料理に調味料をたくさんかけられないようにする対処法は?

飲食店関係者、料理人の方々に向けて、心理的・科学的な観点から解説していきます。

『美味しい』『合う合わない』は誰が決める?

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知人の串焼き屋さん。
地鶏の濃厚な旨みと炭火の香ばしさが自慢の鶏串、その焼き手の方がある常連客の食べ方についてぼやいていたんです。

「鶏串をよく頼む常連さんがいつも『マヨネーズもちょうだい』と。そこに七味を振り、串にたっぷりつけて食べるんだよ。マヨネーズも必ずおかわりしてさ。あんなのマヨ七味の味しかしないんだから地鶏の旨みが台無しだし、鶏串の単価にマヨネーズ代入ってないし…」と。

確かに調味料をたくさん使えばそれだけ味の情報量は多くなります。
そのお店は卓上に数種類の調味料は置いてあり、ほとんどのお客様は適度にかけて楽しむのですが、時々、極端に使用するお客様を見かけるとモヤモヤしているそうです。

地鶏の濃厚な旨みを逃さぬよう丁寧に火を入れている焼き手としては、不本意に感じても無理はないでしょう。

焼き手の仕事に対して無下とも言われかねないその常連さんの食べ方、しかしそれは、その鶏串を存分に楽しむためのメソッドだとしたらどう思いますか?

『マヨネーズのクリーミーさと程よい酸味が濃厚な肉汁を贅沢にしてくれる。その中で炭火と七味の複合的な香味のアクセントがクセになる』というような。(ヘタな食レポですみませんが)

こんなふうに味わいのコラボレーションを楽しんでいたのかとなると、少し印象かわりませんか?

それでも、地鶏の旨みに集中してほしい焼き手の思いには沿っていませんが、その常連さんは鶏串とマヨ七味の調和に脳が興奮しているわけです。

私の知人にも激辛料理が好きな人がいまして、辛くない料理にも一味、タバスコ、ラー油などを真っ赤になるほどかけ、辛い辛いといいながら美味しそうに食べるんです。
そこまで辛いと料理の味なんてわからないのではと思ってしまうほどですが、その知人は料理が美味しいほど、より辛さが楽しめると言います。

なので、辛ければなんでも良いという訳ではなく、トーストにタバスコだけかけて食べることはないけど、チーズを乗せたトーストにはタバスコをたっぷりかけると最高に美味しい、と。

そうですよね。いくら辛党とはいえ唐辛子だけ食べるとか、マヨラーだってマヨネーズだけ口に頬張っていれば満足するというわけでもないのでしょう。(極一部にそういう方もいらっしゃるようですが)


合う・合わないの概念も同じです。

例えば、『合う』の代表的な組み合わせに『ワインとチーズ』がありますが、あれは一体誰が決めているんだろう…って思ったことありませんか?

一説では、チーズのたんぱく質とワインのタンニンの結合によりワインの渋みを和らげる、というような科学的根拠もあるようですが、
ここで単純に思うのは、その科学的な要素が必ずしも人々の『美味しい基準』にはならないということ。
もちろん、ワインの渋みが和らぎ、まろやかになれば多くの人が好むでしょう。
でもそれが標準というわけではないし、ワインの渋みが好きな人が変わり者ということでもありません。

ワインにタブーとされる魚卵(いくらや明太子など)のコンビネーションを好む方もいますが、味覚が異常なわけでもありません。

美味しい、合う合わないは食べた本人が自分のために決めるものであり、決して他者が強要したり優劣をつけるものではないと考えます。(その理由は次項で詳しく解説します)


ちなみに、美味しい料理を食べると脳の報酬系のホルモン、ドーパミンがたくさん出ます。
ドーパミンは快楽ホルモンなんて言われることもあるように、高揚感や多幸感などをもたらしてくれます。
ドーパミンがたくさん出ているときは、その料理に夢中になり瞳孔が開き、何度も口に運びます。それがその人の『美味しい』『合う』に当てはまっているときになりますね。

そして、この快感は強く記憶され、人は再びそれを求めます。
ということは、飲食店に関してはいかにお客様にドーパミンを出させるかがリピート率を上げる大きなポイントとも言えますね。


調味料少なめが正義、多めが不義なのか?

これまた私の知人夫婦の話なのですが、奥様はお寿司を食べるときに醤油をほんの少しだけネタの端につけて食べます。一滴にも満たないくらい極少量の醤油を。

ご主人はわりとしっかり醤油をつけて食べるのですが、またその奥様が余計なことを言うんですよ。
「それじゃしょっぱいでしょ?」とか「そんなにつけたらお魚の味がわからなくなっちゃうでしょ?」とか。

まぁご主人は「たとえ醤油を飲みながら食べても魚の味はわかる舌なのでお構いなく」と一蹴していますけどね。笑

この話のように、調味料は少な目が正義で、多用すると不義となるのでしょうか?

これは、味覚の性質と、少数派を排除したい人間の性質に答えがあると考えます。

人間の味覚は顔と同じようにみんな違います
甘味や酸味など基本五味の感じ方(味蕾の捉え方)には個人差があり、それが好みを決める要素の一つとなります。
例えば、塩味が感じにくいとしょっぱい味付けを好んだり、苦味をよく捕らえてしまう人は野菜嫌いになったり。
もちろんそれだけなく、遺伝や育った環境も好みに大きく影響します。
なにより味覚はまだ未解明な部分が多い器官でもあります。

ほとんどの人は味覚は正常でしょう。
多くの人が好む味わいが必然と“平均”になるだけであって、その平均から外れた人は決して異常ということではないんですよね。(ただし、苦味のない食べ物が苦い、味を全く感じないなどは何か異常の可能性があるので病院に行きましょう)

そしてここが重要です。
人間には多数派に反する者や異なる者を排除する性質が備わっているということ。
なんだか怖いですよね。でも誰にでも多かれ少なかれある性質です。

人間は群れの生き物なので、多くの人は平均や標準、ようするに『普通は~』『一般的には~』に沿って生きていくようにできています。そのほうが群れの秩序が保たれ、自分も生きやすくなるからです。
群れは脆弱な個体を守るために身を寄せ合って生きていく生存戦略なんですね。

そのため、突飛な行動をする人がいると嫌悪感が沸いたり制裁を与えたり、排除したくなるようにもできています。
少数派の人が変わり者や異常者のように扱われてしまうはこのせいですね。
誰かが作ってくれた料理に調味料をたくさんかける人もわりと少数派ですから『普通』から逸脱した行為にネガティブな感情を抱くのは人間の性として仕方ないとも言えるでしょう。

さて、ちょっと話しは変わりますが、
『塩で食べるのが通』という風潮がありますよね。
塩という、素材の味を邪魔しない極シンプルな調味料が、味がわかる人の食の楽しみ方のように扱われるという。

天ぷらやとんかつに塩、蕎麦に塩、刺身も豆腐にも塩…

しかしそれは、『ただ塩と素材の組み合わせが好きな人』か『通ぶってやっている人』
もしくは『同調圧力の可能性』があります。

面白いことに、飲食店でも塩味の料理って意外と少ないものなんです。
ラーメン店なんてわかりやすいですよね。
塩ラーメン専門店はそうそうありませんし、いろんな種類を置いてあるお店でも塩系は1~2種もあれば良いほうではないでしょうか。
焼き鳥もなんだかんだ塩派よりタレ派のほうが多いと聞きますし、多くの人が塩というシンプルな味付けよりも他の味付けのほうを好むと見て良いと思うんです。

『本当はソースが好きなんだけど、みんなが「やっぱ塩だよね」って言うからそれに合わせている』という同調圧力に従っている人、おそらくそう少なくないのではと考えます。

味覚はみんな違うというのに、食材そのもの風味を味わうこと、また、料理はスタンダードで味わうことが食の正義のようになっているのも、多様性が唱えられている現代においてはなんとも矛盾を感じる話ですよね。

どう食べようと、全く不義ではないと考えます。


群れの性質についてはこちらの記事で詳しく解説しています。よろしかったら参考になさってください。
お店の生存率を下げる怖い群集本能。飲食店経営を左右する“群れの絆”とは?飲食店集客方法

作り手への敬意の問題は?

料理に調味料をたくさんかける行為が不快に感じるもう一つの側面は、それは作り手への敬意でしょうか。

冒頭にも言いましたが、料理人が最善だと思う状態で自信を持って料理を出しているので、極端に味変させられるとモヤモヤしたり傷付く料理人は少なくないと思います。
いや、料理人に限らず料理を作ったみなさんそうですよね。

私は気にしない派の料理人ではありますが、もし自分の子供がよそでそういう食べ方をしていたらきっと止めます。
理由はやっぱり、作ってくれた相手に失礼だから。

でもこれは私が勝手に、料理人に敬意を持ち、子供にもその精神を受け継がせたいと思ってやっていることであって、料理人のほうからお客様の敬意を請うのは違うと考えています。

ましてや、お客様は美味しい食事と癒しの時間の対価を払ってくれるわけですから、本来はそれで売買契約が問題なく完遂されたことになります。
まあ少々業務的な言い方になりましたが、お客様にそれ以上の気持ち、敬意や感謝まで求めてしまうのは人に介入しすぎだと個人的には思うのです。

うざいと言われる食通グルメ美食、高級フォアグラハンバーグ


料理に調味料をたくさんかけないようにする対処法とは?

もし、食材そのものの美味しさ、職人の手仕事でお客様を満足させたいのであれば、そういうお店作りをするほかはないと思います。

例えば、高級店やかしこまった雰囲気のお店では調味料をたくさんかけるお客様はなかなかいないものですよね。人間とは周りの人や状況に合わせる生き物ですから。

とはいえ、いきなり高級店にしろなんてさすがに言いません。

テーブルセッティング、食器や盛り付けを工夫してみてはどうでしょうか。
おしぼりやナフキン、カトラリーなど上品にセッティングされていたり、お皿に盛られた料理が美しいと、綺麗に優雅に食べたいと思うお客様はわりと多いと思います。

また、『食材は契約農家から~』『この季節だけの脂の甘みをご堪能ください』『レモンを少したらすと旨みが引き立ちます』『何もつけなくても十分にお楽しみいただけるように作りました』など、おすすめの食べ方や料理へのこだわりが掲げてあると、調味料をたくさんかける行為はやりにくくなります。

もし、あまりに調味料を使われてしまうことの経費上の懸念であれば、価格の変更もやむを得ないでしょう。
以前、行った居酒屋さんではメニューに『無添加トマトケチャップ追加○円』『辛みそ追加○円』『ぬちまーす○円』といった別料金オプションがありました。
このような有料設定もアリだと思います。
特に無添加やオーガニック、高級な調味料をラインナップに置いておくことで、こだわりも演出できますよね。

調味料はサービス品という概念が強いので、有料設定には抵抗感を感じるお客様も少なくないでしょうが、こうすることで実際に経費がかかっているものだと一定の理解はして頂けると思います。

とにかく、自分の料理を自分の思うようにお客様に食べてもらいたいなら、こういったお店作りをしてお客様の行動を誘導するしかありません。

それで、快感が得られればお客様はまた来てくれるし、快感が得られなければもう来ない…というだけの話です。
これは、調味料の問題に限らず全てに対してそうですよね。



なんだか今回は料理に調味料をたくさんかける人を全面擁護するような内容になってしまいましたが、それぞれの味覚、それぞれの思考、100人いたら100通りあると思えば、少し気を楽にすることができるかな、と思い持論を述べさせて頂きました。
少しでもお役に立てれば幸いです。


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